一人の現場職員として動いていた頃は、忙しくても仕事にあんなに手応えを感じられていたのに。
昇任して「係長」になった途端、毎朝頭の奥に鈍い重みを感じるようになり、日曜日の夕方になると職場に向かう足が重くてたまらなくなる……。
トラブルが起きるたびに、
「自分のマネジメント能力が足りないせいだ」
「周りのように要領よくこなせない自分が無能なんだ」
と自分を責めてばかりいませんか?
ですが、立ち止まっていま冷静に振り返って痛感することがあります。あなたが今苦しんでいるのは、個人の努力不足でも能力不足でもありません。
組織論で証明されている「ピーターの法則」という落とし穴に、真面目な人ほどハマってしまっているだけなんです。
教育学者ローレンス・J・ピーターが提唱した、組織社会における出世のパラドックスです。
- 現場で優秀な人ほど、評価されて次の役職へ昇任する
- 昇任先(管理職)で求められる能力が現場と合わない場合、成果が出せなくなる
- 結果として、どのポストにも「自分の適性の限界に達した人」が残り、苦しみ続ける
つまり、「人は自らの無能レベルに達するまで昇進し続ける」という現象を指します。
プレイヤーとしての優秀さと、人を動かすマネジメントの適性はまったく別の才能です。現場のエースだった真面目な公務員ほど、係長という「自分の適性を超えた役割」を押し付けられ、逃げ場を失ってパンクしてしまいます。
もし今、毎朝の動悸や強い限界を感じているなら、壊れるまで我慢する必要はありません。公務員には役職の看板をそっと降りて自分を守る「希望降任」という公的な仕組みがちゃんと用意されています。

かつて職場で毎日ため息をついていた元上司の姿と、私自身が係長で立ち往生した苦い経験をもとに、公務員の出世の構造的な無理について書いています。

プレイヤー時代は自分のことだけ考えていればよかった
振り返ってみると、現場で一人のプレイヤーとして仕事をしていた頃は、本当に仕事が楽しかったんです。
もちろん日々の業務は忙しかったですし、理不尽な案件や面倒な書類仕事もたくさんありました。
それでも、「目の前の仕事をどうやって効率よく片付けるか」「どうすれば住民や関係者にうまく説明できるか」という、自分自身の業務に集中できていました。
- 自分の裁量と工夫で仕事を前に進められる達成感
- やればやるほど専門知識や現場対応力が身につく手応え
- 休日になれば仕事のことを考える必要のない身軽さ
自分の責任範囲が明確で、自分の頭と手足を動かしていれば結果が出せたあの時代は、公務員という仕事にやりがいを感じられていた時期でもありました。
部下ができて始まった「マネジメントの苦痛」
ところが、年齢を重ねて係長になって、自分に「部下」ができたあたりから、仕事の性質がガラリと変わってしまいました。
それまでは自分のことだけを考えていればよかったのに、毎日のように部下からの相談を受け、書類をチェックし、進捗を気にかけなければなりません。
当然、部下がミスをすればその尻拭いをするのは自分ですし、上からは進捗のプレッシャーが降ってきます。
現場の優秀さと、管理の向き不向きは別物だと思います。
昔のように感情論で部下を引っ張ることは今の時代許されませんし、少し指導の言葉選びを間違えれば「ハラスメントだ」と問題視される時代です。
上からは叩かれ、下には過剰に気を遣いながらご機嫌を伺う日々に、私の心は休まる暇がなくなっていきました。
プレイヤーとして現場を回す能力と、人を束ねて動かすマネジメントの能力は、完全に「別の才能」だと思います。
私はその違いに対応できず、自分が管理職という役割にまったく向いていないことを痛感させられました。
逆に、なかには管理職のほうが向いてる方も当然いると思います。
👇40代になって仕事への情熱がガス欠を起こし、組織のプレッシャーに耐えられなくなったときの心の整え方については、こちらの記事で書いています。

組織の理屈は分かるけど、向いていないものは向いていない
もちろん、頭の中では組織の理屈も理解できていました。
役所という組織が大きくなればなるほど、全体を統括して調整する管理職の人間は絶対に必要です。
全員が「私は現場のプレイヤーでいたいから、管理職なんてやりません」と言い出してしまったら、組織そのものが成り立たなくなってしまいます。
誰かがその席に座り、板挟みになりながら組織を回していかなければならない。
それは痛いほど分かっていました。
でも、頭で理解できることと、自分の心が耐えられるかどうかは全く別の問題でした。
「組織のためだから」「経験年数を重ねた責任だから」と自分を納得させようとすればするほど、動悸がしたり胃腸の調子が悪くなり、日曜日の夕方になると絶望的な気分に襲われるようになっていったんです。
かつて苦しんでいた上司と、ピーターの法則
ここで冒頭の「ピーターの法則」に話が戻ります。
以前の職場で、毎日パソコンに向かって「クソッ」と毒づき、不機嫌を撒き散らしていた私の元上司。
当時はその姿が本当に嫌いで仕方がなかったのですが、今になって思えば、あの上司もまた「ピーターの法則の犠牲者」だったのかなと思います。
若い頃は現場でバリバリ活躍して周囲から頼りにされていたからこそ、順調に出世してあの席に座らされた。
けれど、そこは本人の適性を超えた場所だったために、毎日余裕を失い、苦しみ、周囲に当たり散らすしかなかったわけです。
そして自分自身もまた、その階段を無理に登ろうとして、同じように適性のない場所で立ち往生していました。
「出世して上を目指し続けることこそが公務員の正解」という一本道のレールに縛られていたからこそ、自分の首を自分で絞めていたのだと気づきました。
限界を迎えたときに知っておきたい「希望降任制度」
公務員の世界では、「一度上がったポジションから降りる」ということはタブー視されがちです。
しかし、どうしても管理職の重圧に耐えられないとき、自分の心と生活を守るための公的な仕組みとして「希望降任制度」が存在します。
自ら申請を出して、係長や管理職の席から降り、再び一人の現場職員として働くための制度です。
もちろん役職手当が減るなどの条件はありますが、何年も心をすり減らして体を壊してしまうくらいなら、あえてポジションを下げて「自分が無理なく働ける場所」に戻るという選択肢は、決して恥ずかしいことではありません。
👇係長クラスの消耗が激しいのは、中間管理職の重圧に加えて「2〜3年周期でまったく未経験の部署へ飛ばされる」という公務員特有の人事システムも一因です。65歳定年延長によってこのリセットをあと何回耐えることになるのか、整理しました。

👇公務員が自ら役職を降りて心を守るための「希望降任制度」の条件や手続き、給料への影響については、以下の記事で詳しく解説しています。

まとめ:出世の階段を降りることは逃げではない
「出世したけど、毎日がつらくて苦しい」
もし今そう感じているなら、それはあなたの能力が足りないからではなく、単に「求められる役割と自分の適性がズレているだけ」かもしれません。
現場のプレイヤーとして優秀だった人が、マネジメントに向いていなかったとしても、人間として何ひとつ劣っているわけではないんです。
- プレイヤーの楽しさと、管理職の適性はまったく別のもの
- ピーターの法則通り、無理に出世し続けると誰もが苦しくなる
- 組織の都合に自分を合わせすぎて、心を壊す必要はない
- 必要であれば、希望降任や割り切りで自分の立ち位置を調整する
組織の階段を登り続けることだけが、公務員人生のすべてではありません。
自分が穏やかな顔で働き続けられる場所はどこなのか、一度立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。

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